眠りの森の薔薇姫

                  マドモアゼルM

『先輩寝てるな・・・・かわいい』
読んでいた本は、左手とともに床に落ちていた。
クッションの上に座ってソファにもたれかかっていた先輩は 俺が晩御飯の支度をしている間に寝てしまったようだ。

『昨日は実験で遅かったから・・・疲れてるのかな?』
昨日は実験がうまくいかず、警備員が回ってくるまで大学にいた。
二日連続はさすがにきついので、今日は早く帰ってきたのだった。
『綺麗な顔してるよな・・・』
閉じられた目元の睫は長く、整った顔は見ているだけで飽きることはなかった。
すーすーと軽い寝息が聞こえる。

『黙っていたら、お姫様みたいに綺麗なのに』
さらさらの髪も柔らかく、手にしっとりと吸いついてくるような感触だった。
『いつも、じっと見てたら殴られるから、こういう時くらい・・・』
俺はひざをついて、うたたねをする先輩をじっと見ていた。

『そうだ、いいものがあった♪』
いいことを思いつき、急いで玄関に向かう。
ドアの横にある靴箱の上には、先ほど花屋のおじさんからもらった真っ赤な薔薇のこじんまりとした花の束が置いてある。
これは、さっき
『あまりものだからタダであげるよ』
と立ち話の時にもらったものだった。
薔薇の花は6本くらいで、せっかくなので玄関に飾ろうと思っていた。
俺は、その中の一本を選んで花から5cmくらいのところを手でちぎって棘と葉を取り除き、急いで先輩のいるリビングに戻った。

俺が戻っても先輩はまだ気持ちよさそうに寝ていた。
俺は、先輩の横にそっと座り、斜めになってもたれかかっている先輩の頭(耳の上くらいがいいかな?)に先ほど取ってきた薔薇をそっと差し込む。
『ん・・・・』
くすぐったかったのか、先輩は少し頭を動かす。
急いで手を離して様子を見たが、また眠りの底へとおちていったようだった。
ほっと息をつき、先ほどの薔薇が正面になるように整えた。

薔薇兄さん

『か、かわいい!お姫さまだ・・』
鼻血がでそうになるのをなんとかこらえ、まじまじと先輩を見た。
後ろで髪を結んでいるのが残念だけど、 きめ細かい先輩の白肌に赤い薔薇はよくはえる。
『キスしたいな・・・いや駄目だ』
この前同じようなことをして、痛い目にあったことを思い出した。
『なんでこんなに無自覚なんだよ。絶対誘ってるって』
本人が寝ていることをいいことに、小さい声で文句を言う。
『まったくこのお姫さまは・・・』
ため息をついて、立ち上がり晩御飯の支度に戻る。



「ふぁ・・・」
すっかり寝てしまったようだった。
昨日は一日中忙しかったので、今日早く帰ったのはいいが、森永が晩御飯の支度をしている間に猛烈な睡魔が襲ってきた。
読んでいる本は10Pも進んでいなかった。
「あいつは・・・風呂場か・・・・」
さっきまで晩御飯の用意をしていたが、今は風呂場の方で音がする。
風呂掃除でもしているのだろうか・・・なんにせよこまめな男だ。

大きくのびをして煙草を吸おうとすると、 ちょうど煙草が切れていたことを思い出した。
「チッ」と小さく舌うちをすると、しびれていた足をほぐしながら考える。
あいつに買いに行かせてもいいが・・・
まぁ散歩がてらコンビ二にでも行って来よう。
声をかけると、多分俺が行きますっていうだろうからやめとこう・・・
そう決めると、電話の横に置いてあるメモ紙とボールペンを取りにいく。



『あれ?先輩は?』
風呂掃除が終わって濡れた手を拭きながらリビングに戻ると、 先輩はいなかった。
閉じられた本が丁寧にテーブルの上にあった。
きょろきょろとあたりを見回すと、テーブルに置いてあるメモに気付く。
走り書きされた字が・・・
『 煙草買いにコンビ二 すぐ戻る 』
すぐ戻るとあったので、とりあえず晩御飯の準備をしておこうと作っておいた煮物を温める。

『そうだ、せっかくだからあの薔薇を食卓に飾ってみようかな』
食事はたいしたものではないが、ちょっとでも気分をかえるのにいいかもしれない。
俺は、玄関の花束を持ってくると、がさがさと新聞紙にくるまれた花を広げた。
その中の一輪の花が切られているのを見て、不思議に思った。

『あれ?これ・・・そっかさっき自分で』

ちょっと前の自分の行動を思い出した。確か先輩の頭にさして・・・・
『・・・・ちょっと待て?その後どうしたっけ?』
学会の発表の時よりも動悸が早くなる。落ち着け、俺。
ええと、お姫さまみたいだって思って、 それでそのまま晩御飯の支度に戻って・・・

『―――――っ!!!!』
言葉にならない叫び声をあげる。
ムンクの絵画のような姿で俺はその場に凍りついた。
いや、待て。先輩が自分で気付いたかも・・・
でも出かけるまで何の反応もなかった。
先輩の性格からしてそれはありえない。
時計を見るが、先輩がいつ出ていったかはわからない。今から追いかけても・・
俺は、死を覚悟した・・・・



俺は階段をかけ上がる。
今一つのことが頭を支配している。一刻も早く家に帰り、あいつを・・・
『・・・コロス』
鍵をあけるのももどかしく、勢いよく玄関のドアを叩きつけるように開ける。
靴を脱ぎ捨て、あいつの名を叫ぶ。
「もりながぁ!!!!!」
全力で走ってきたせいか息が上がる。リビングにはあいつの姿はなかった。
テーブルには晩御飯の用意が一人分。
湯気の上がったご飯と味噌汁と煮物とおひたし。

その横には小さなメモが・・・
どすどすとテーブルに近づき、置いてあるメモをつかみ取る。

『 ごめんなさい すみません 森永 』

俺はそのメモを力を込めて握りつぶす。
「・・・でてこい!もりなが!どこだっ!!」
返事はない。
「ほ〜そうかそうか・・・」
俺は獲物を探すハンターになった気分で、あいつの部屋へと向かった。



ものすごい音と怒鳴り声で、先輩の帰宅を知ることになる。
ああ、俺の部屋も鍵をつければよかった・・・後悔先に立たず。
とりあえず、何の役にも立たないが、 部屋の電気を消して内側からドアノブを押さえている。

だんだん先輩の激しい足音が近づいてくる。
その足音は俺の部屋の前でとまる。
「森永くん?ここにいるのかな・・・」
殺気だけで息が止まりそうな静かな声。
『え〜っと・・・』
言い訳も思いつかず、どうしようかと思っていると、 いきなりドアノブが、がちゃりと下げられて、ものすごい力でドアを開けようとする先輩。
これは全体重をかけて押しているくらいの力だった。
下手したらドアが壊れそうな勢いだ。

俺は全力でこの最後の砦を守る。

「おまえふざけんなよっ!!なんだよ、あの薔薇はっ!!!」
あ、やっぱりつけたまんまだった。
時折来る激しい体当たりに俺は抵抗しながら納得した。
「俺は・・・あれでコンビ二まで行ったんだぞ!! 周りがやたらこっちを見るから おかしいとは思ったが・・・ 店員が笑いながら『似合ってますね、それ』って言われて・・・っ」
その時の場面を思い出したのか、一瞬動きがとまる。
きっと真っ赤になってるんだろうな。
「・・・俺が、どれだけ恥ずかしかったか!!!!」
確かにそうですね。俺でもそれは恥ずかしい・・・しみじみと頷く。
「というわけでお前をコロス・・・おとなしく出てこい」
コロスと言われて大人しく出て行くほど俺は馬鹿じゃない。
俺はドアが開かないように必死だった。

「ご、ごめんなさい〜先輩があまりにもかわいい顔で寝てたもんでつい・・・」
「なにがかわいいだ!ふざけんな!!」

俺と先輩の必死の攻防は30分近く続いた・・・・

やがて根負けした先輩が
「・・・明日どうなるかわかってるだろうな」
と言い放った後、リビングの方に戻っていた。

先輩の気配がなくなると、俺はドアにもたれかかりそのままずるずると崩れ落ちた。
『つ・・・疲れた』
汗が滴り落ちる。今は何を言っても無駄だろう。
とりあえず時間が経つのを待つしかない。
『こういう時って、同棲はつらいな』
家どころか、大学でも顔を合わせるので逃げ場がない。

じっとドアの前で息を潜めていた俺だが、時間が経ち、先輩が寝たであろうと推測してそっとリビングに向かう。
テーブルには、先輩が帰る前に急いで用意した晩御飯はなかった。
綺麗に片付けられて、お皿も洗ってあった。
残っているのは、新しいメモが一枚。
息を呑み、それをおそるおそる見つめる。

『 許さんが あの煮物は悪くない また作れ 馬鹿 』

鍋の中の煮物は、すっかり空になっていた。
この前料理番組で見て、今回始めて挑戦したものだった。
『少しは機嫌直ったのかな・・・?』
俺はおかしくなってくすりと笑う。
そうして急いで明日の朝の準備にとりかかった。



次の日の朝。
俺が起きると森永はいなかった。大学にもう行ったのだろうか。
「逃げやがったか・・・」
リビングにいくと、朝ご飯の準備がしてあった。
そして、またメモが・・・・

『 昨日はごめんなさい 煮物たくさん作ります 許してください 森永 』

そのメモをしばらく眺めていたが、なんだかおかしくなってきた。
「ば〜〜か」
メモの字に悪態をつくと、俺は森永の用意した朝ご飯を食べはじめる。
俺と顔を合わせた時の、あいつの困った顔が容易に想像がつく。
「どうしてやろうかな・・・・」
俺は、大学にいくのが楽しみになっていた。

 おわり

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