先輩の手が好きだ。
もちろん体のパーツは隈なく全部好きだけど。
その細くて長い指の無駄の無い動きをじっと見ていた。
手際良く規定の量の薬品を量り次々に撹拌して混ぜ合わせていく。
少しだけそれを火にかけて、匂いを確かめる。
そしてそれを同じ量ずつ試験管に分ける。今度は目分量だけどちゃんと等分だ。
なんか・・・芸術。
「おい。さっきから何見てやがんだ」
「あ、すみません、いえ、何でもないです」
「気になるんだよ!言いたい事があんなら言えよ!」
「え、えっと・・・いやホント大したことじゃないんですが・・・。ほら先輩ってすっごく器用でしょう。手際もいいし。だから料理も本当はうまいんじゃないかなあっとかね」
「は?」
「だから何でもないですって!気にせず続けて下さい」
「料理・・・」
いやホント、確かにそう思ったのは本当だけど別にだから作って欲しいとかそんな事は全く考えもしてなかったんだけど。
次の休みの日、朝から先輩の姿が見えなくて、俺も用事あったから一日出かけて夕方戻ったら、俺の城のはずだった狭いキッチンは先輩に占領されていた。
「おう。お帰り。今日の夕飯は俺が作るから、おまえあっちで待ってろ」
「へ?ど・・・どうしちゃったんですか?まさかこの間の俺の言った事気にして?いや別に作って欲しいって言った訳じゃないですよ?そんな・・・」
「何でそんな不安げな声出してんだよ。俺だって飯くらい作ったことあんだよ!」
「はい、すみません。・・・で何を作っていただけるのでしょうか」
「とんかつ」
「な・・何でまたいきなりそんなハイレベルなメニューを!」
「何がハイレベルだよ。肉にパン粉つけて揚げるだけだろ。簡単じゃねえかよ。ほら、邪魔だからあっち行ってろ」
追い出された。俺の城・・・。
激しい不安を感じつつ部屋で片付け物をしていたら、先輩の大声が聞こえた。
「もりながー!もりながー!」
「はい、何ですか」
「服汚れるからおまえのエプロン貸せ」
え、うそ。先輩のエプロン姿!?え、え、もしやのエプロンプレイとか!!??
うほっ!どうしようっ!
「んだよ、ジロジロ見んなよ」
「何でもないでーす。俺ここで見てていいですかー?」
「・・・何かおまえの視線いやらしい。やっぱこれいいわ。白衣着るから」
「えー、ダメですよ!そんなまさに実験みたいな料理嫌です!分かりましたよ俺向こうに行ってますから・・・」
「出来たら呼ぶから。それまで邪魔すんなよ」
あう・・。先輩のエプロン姿なんて滅多に拝めないのになあ。視線がいやらしいって何だよもう。別に変な事なんか!・・・考えてたけど・・・
「もりながー!おいっ!もりながー!」
「まただ。はいはい、何でしょう」
「塩こっちでいいんだよな?」
「ちょーっと待ったこっちです!これは砂糖!塩化ナトリウムなんていつも見てるじゃないですか!ってか普通分かるでしょう?」
「うるせえなあ。一応念の為確認しただけだろ!あっち行ってろっての!」
蹴り出された。自分が呼んだくせに。不安だ。調味料の区別もつかない人の料理。
「もりながー!もりながー!!」
「もう!何なんですか。はいはいはいはい」
「鍋どこだ?」
「・・・テンプラ鍋だったらはいここ。これ使って下さい。ってかもう俺やりましょうか?」
「何だその呆れ顔は。てめえがわかんねえとこに鍋しまうから悪いんだろ!」
「そうです。大変すみませんでした。じゃあ俺あっちに行って・・・」
「おい遊んでないで少しは手伝えよ。もう揚げるからキャベツ刻んどけ」
「・・・はい」
サクサクサクサク・・・
ああ、床が粉だらけ。なんか割れた卵とか落ちてるし・・・・。
あちこちベッタベタ・・・俺の城が・・・ん?
「先輩!その温度計どっから持って来たんですか!」
「学校の備品借りて来た。いいだろ別にちゃんと月曜には返すって」
「そんな何に突っ込んだかわかんないものを!」
「馬鹿、揚げ物は温度が命なんだよ!第一高温殺菌してんだから問題ねえっての。よし。180度きっかり。投入。で、タイマーセット」
ああ。何かもう繊細なんだか大雑把なんだか。でもまあなんだかそれなりにとんかつらしきものが出来上がってる。
「キャベツ用意できたか」
「これでいいですか。はい。どうぞ」
「揚げ物は揚げたてじゃないとダメだからな。で、飯は?」
「飯は?って何で俺に聞きますか」
「・・・んだよ、俺はとんかつを作ってたんだぞ。飯くらいおまえが炊いとけ!」
「・・・冷凍ごはんがありますからチンします・・・」
なんかもうすっごい疲れた。自分で作ったほうがずっと早いし楽ちんだ。
あー余計な事言ってしまった俺の馬鹿馬鹿馬鹿。
「おい何やってんだよ、早く食おうぜ」
「すみません、ちょっと熱いうちに油の処理を・・・。じゃあ、いただきましょう、先輩の力作・・・」
さく。
「あ、美味しい」
「だろ?ったくこれ位楽勝なんだよ。普段はおまえが作りたいっていうから飯作らせてるだけで俺だってやればできんだよ。思い知ったか」
「へえ。ホント美味しいです。肉がすっごい柔らかい」
「な?特売の肉とか思えんだろ?」
「特売っていくらだったんですか?」
「一枚1500円」
「ぶーーーっ!!!」
「汚ねえなあ!俺のとんかつ何噴出してんだよ!!」
「先輩!どこが特売なんですか!なんで夕飯にそんな高級肉使ってんですか!」
「はあ?ほんとはもっと高かったのが2割引だったんだぞ?ってか1500円のどこが高級なんだよ。普通に店でそれ位すんだろ!んだよ、うまいんだからいいじゃねえかよ!」
「・・・・・。そうですね。1万円とかじゃないですもんね・・・すみません。俺がケチ臭いこと言いました・・・せっかく先輩が一生懸命作ってくれたのに・・・」
「・・・しょーがねーだろ。俺、頼まれた買い物とかしか行ったことねえし。肉屋のオヤジがこれは絶対うまいって言うから。せっかくならうまいもん作ってやりたかったし」
「そうですね。じゃあ今度、一緒に行きましょう。俺が安くていいものの買い方教えますよ」
「・・・まあ、また気が向いたらな」
「はい」
「あーしかし料理は疲れるな。じゃあ片付けはおまえな」
「へ?」
「高級とんかつ食っといて食い逃げか?」
「食い逃げって・・・やりますよ。やればいいんでしょ」
高級食材使って滅茶苦茶のやりっ放しで後片付けもしないで自己満足。
まさに・・・男の料理ですね、先輩。ううっ、ほんっと余計な事言わなきゃよかった。
ベッタベタのぐちゃぐちゃのキッチンをようやく元通りに復元して、疲れ果てて風呂から上がったら先輩が熱心にパソコンを見ながらあれこれメモしてた。
「先輩、何見て・・・げっ!料理サイト」
「げって何だよ。今度こそ安くていい素材で作ってやろうと思っていろいろ研究してんだろが」
「もう・・・いや・・・ほら先輩大変だから、ってか俺作りたいんです!毎日作りたいんです!料理大好きなんです!俺の楽しみ奪わないで・・・ね?」
「そーだな。楽しいもんなあ、料理。しようがねえなあ。やらせてやるよ。でもま、たまには俺が。そうだな、おまえの誕生日にはまた俺が作ってやるよ。何か食いたいもんあるか?」
誕生日。先輩が。俺の誕生日にって。俺の為になんかしてくれるって。
何かもう・・・その気持ちが嬉しいっていうか気持ちだけでいいって言うかとにかく嬉しい。すっごい幸せ。もうっ、何でこの人は!
「そうですねえゆっくりそれは考えときます。でも今は・・・油ものの後はなんか甘いものが食べたいんですが。食べさせて貰えますか?」
「今って何だよ。甘いものなんか俺作れねえ・・・」
「先輩が食べたい」
「・・・は?い?」
「俺の一番食べたいもの、食べさせて。食べさせてくれるんでしょ?」
「はあ?何言って・・・おい!」
「・・・ん」
「・・・んっ・・・はっ・・・・んん・・・あ・・・てめっ!・・・あ・・」
先輩の手が好きだ。
あの華麗な手さばきで俺を料理して欲しい。
本当はきっと・・・俺なんかよりずっとうまいんじゃないかな。
でもまだ・・・無理だよね。
いいですよ、俺だって本当に料理大好きなんですから。
俺が愛情スパイスでとろっとろに煮込んであげます。
あなたっていう素材を最高に美味しくできるのは、だって絶対俺だけだもの。
トロトロの熱々の甘々の最高に甘いデザートまでついたフルコース。
今日はとっても美味しかったです。
あれもこれもごちそうさまでした、先輩。
おしまい
(2010/5/17)
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